sんきょ

姉が投票に行っていないと聞いて「なんでだよ、行けよ」と2回言ったがもっと話を聞いておくべきだったなと思った。どうして行かないのか、俺と飯を食う暇があるのだから行けないということはないはずだ。となると行き方がわからないか、あるいは大した理由はないのか。義理の兄(予定)がどうしてるかは不明らしい。ともあれ選挙に行かない人間が身近にいるのだから、もっと話を聞いておくべきだった。俺の見るインターネット(つまりはツイッターのタイムライン)では選挙に行く人間の方が多いらしい、とはいえ選挙権の有無だって不明だし(流石に18歳未満なんかフォローしてないと思うけど、引っ越して住民票移してない人とかいるかもしれないし。それだと結構めんどくさそう)、行かない人が行かないと声を大にすることもないだろう。行くのが当たり前な空気感なら尚更。

俺がどこの政党を支持しているかは絶対に言わないし、他人がどの政党を支持しているのか聞き出そうとも思わない(言ってくるなら聞くが、積極的に聞くことはない)。投票は市民(ちゃんとした知識のもとで言ってるわけではないので齟齬があるかもしれないが、まあだいたい戦後の日本に生きている国会議員でない者、くらいの感覚)が持つ絶対的な責任であり権利だと思っている。神聖だとすら思っている。特定の宗派や神仏その他に依らない信仰というか、おおよそ理想に近い直接民主制に代わる手段としての間接民主制を支持している。この支持は絶対的なものではなく、現状の選挙制度に全くの瑕疵がないとは言わない(1票の格差とか)。そもそも直接民主制だって絶対的ではないはずだ。じゃあ選挙が無駄なのかと言われればそんなことはない。現状取れる手段のうち効果が見込めて、実現可能であるから行われている、そう信じている。だから投票する。だけど自分の党派性は出さない。出したくないし、出さなければいけないとも思わない。ツイッターのタイムラインでは色んな人が党派性を出していて意外に思うこともあったけど、それに対して何もコメントしない。正しい正しくないは神か100年後の人類にしか評価できないし、なんなら100年経ってもわからないと思う。社会、世界の動きに絶対的な正解不正解があるなら学者は要らんはずだ(もちろん明らかな嘘や後付けといった不正解はあるだろうが)。

政党、候補者、そして選挙制度を見るにあたって軸にしている考え方がひとつある。誰も神ではないし、何も完璧ではないということ。選挙に限らず思っているが、誰も神ではないから探られれば痛い腹のひとつやふたつ抱えているし、叩き続ければどこかで必ずボロが出る。誰にでも痛い腹やボロはある。その中で相対的にどの党なら任せてやってもいいか、誰なら信じてやってもいいのか考える。それを示す神聖な行いが投票である。神ではない人が作った制度だから瑕疵はある(かもしれない)が、投票という行為の価値を一切破壊してしまうものだとは思わない。だから投票する。

【脱線】『誰も神ではないし、何も完璧ではない』については選挙以外にもあらゆることに対して思っている。卑近な例だとyoutubeのコメント欄だったり、Twitterのすべての発言だったり。誰も神ではないからどこかしらに瑕疵はある。だからといって1つの事柄でそのものすべてを否定してはならないと思う。大作家だって駄作を書くが、駄作を書いたから大作家でなくなるわけではない。まあ無料で見れるものに何をどこから目線でモノ申してんだ、ということだ。有料でもケチをつけようと思えばつけられる(瑕疵、というのは厳密に決まるものではなく相対的なものだと思っている)わけだし。程度が甚だしいのであれば利用や購入をやめるか、誇大広告であれば訴えればいいわけで。消費生活センターだって仕事してくれはる。たぶん。まあそういう感じ。

なにはともあれ俺は選挙に行くし周りの人には行ってほしいと思う。俺は党派を明かさないし誰かの党派も気にしない。個人に与えられた絶対的で神聖な権利だから。とりあえず姉に今度会ったらもっと詳しく話を聞いてみたい。

 

そういやsんきょって書いたので蹲踞の話かもしれないよ。蹲踞って聞くとエロ蹲踞しか出てこない。